成政の越中入封まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:41 UTC 版)
大永8年(1528年)に生まれる。越中守護代神保氏の庶流・神保氏重の子。『寛政重修諸家譜』などには、能登畠山氏出身で神保氏の養子になったとしている。神保長職との系譜関係は明らかではないが、長職とは敵対関係にあり、氏張は能登畠山家臣の温井氏、越中一向一揆と連携し、越後上杉氏に敵対したため、長職に知行を没収されている。長職の死後、織田信長に接近して誼を通じるが、織田・上杉の手切れ後、上杉謙信に攻められて降伏し、一時上杉氏に従属した。しかし謙信の急死後、再び信長に接近し、神保長住(長職の子)や能登の長連龍らと共に織田氏の越中・能登平定に協力した。
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