慈姑頭とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > 慈姑頭の意味・解説 

くわい‐あたま〔くわゐ‐〕【慈姑頭】

読み方:くわいあたま

クワイ出た形に似ているころから江戸時代町医者などが結った髪形の一。総髪後頭部束ね、先を短く垂れ下げたもの。


慈姑頭

読み方:クワイアタマ(kuwaiatama)

江戸時代医者などの髪の結い方


慈姑頭

読み方:クワイアタマ(kuwaiatama)

近世医者などの髪形


総髪

(慈姑頭 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/14 04:27 UTC 版)

総髪(月代の無い髪型)

総髪(そうはつ)は、男性髪型である。月代(さかやき)を剃らずに、前髪を後ろに撫で付けて、髪を後ろで引き結ぶかを作った形を言う。髪を結ぶ位置が高いものは形が慈姑(クワイ)に似ることから「慈姑頭」とも呼ばれた。

室町時代までは男性の一般的な髪型であった。江戸時代前期からは男性の神官儒学者医者の髪型として結われはじめ、江戸時代後期には武士の間でも流行した。経済的に余裕がなく、頻繁に髪の手入れができない浪人も総髪であった。

現代でも見られる髪型であり、日本人男性の最も伝統的な髪型のひとつである。女性の場合は同じ「総髪」でも読みが「そうがみ」と異なる。

歴史

月代を剃る習慣は、戦国時代末期のころに、兜を被った際、頭が蒸れないようにするために定着したものであり、月代が武士の一般風俗として定着したのは江戸時代になってからである。神官や学者は戦闘にはかかわらないという思想上の観点から、この月代は剃らずにすべて(総て)の髪を残していた。これが「総髪」の語源である。

総髪にした勝新太郎(『初春狸御殿』、1959年)

時代が下るにつれて、儒者に限らず「思想家」が一般的にこれを結うようにもなり、幕末の頃になると勤王派志士の間で大流行したほか、佐幕派の面々の間でもこれを結う者が少なくなかった。江戸時代初期の軍学者・由井正雪、幕末の勤王派の志士・坂本龍馬、佐幕派の新撰組局長・近藤勇徳川家茂徳川慶喜などの画像や写真では、月代を剃らず、すべての髪が残っている。

なお時代劇に出てくる医者は大抵この総髪を結っているが、御殿医などの官職に就いている医師の場合髪を剃り上げていた。これに対し町医者などは総髪が一般であった。これは戦国時代の医師が戦場に動員される際には非戦闘員(金創医)であることを敵方に示すために髪を剃り上げていたことに由来するという説もある[要出典]

明治時代になると、西洋化政策の一環として明治4年(1871年)に断髪令が出され、総髪を含む髷は衰退した。当時、「総髪頭(そうはつあたま)をたたいて見れば王政復古の音がする。」という歌が流行した。

脚注



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「慈姑頭」の関連用語

1
6% |||||

慈姑頭のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



慈姑頭のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの総髪 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS