悪路王との同一視
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 00:49 UTC 版)
詳細は「坂上田村丸#平泉での伝説の起源」および「悪路王」を参照 関幸彦は、阿弖流為が『吾妻鏡』で悪路王と表現されて「あくる・あくろ・あくじ」と読み換えられたため、これに『元亨釈書』の高丸が結びついて「あくじの高丸」の名前が誕生したことから、悪路王とあくじの高丸は同一体のものと解してよさそうだと論じている。 しかし悪路王伝説は奥州藤原氏全盛期の平泉で京の物語が導入されて同型の物語として創出されたとの見方もあり、関の論説でも『元亨釈書』の高丸と『吾妻鏡』の悪路王は本来は別人物であるということが前提となっている。中世文学の成立課程で『義経記』のあくじの高丸など、悪路王伝説と混交された形跡が確認され、悪路王伝説と何らかの補完関係があったことは認められるものの、『田村の草子』では父・藤原俊仁が悪路王を討伐し、子・田村丸俊宗が高丸を討伐するなど、室町時代の時点でも高丸と悪路王は根本的には別人物として考えられていた形跡がある。
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