徳野 涼子とは? わかりやすく解説

徳野涼子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/01 23:57 UTC 版)

徳野 涼子(とくの りょうこ、現姓:伊藤、1974年8月27日 - )は、日本の元プロビーチバレー選手(元インドアバレーボール選手)。日本ビーチ文化振興協会常任理事。

プロフィール

来歴

筑波大学時代まではインドアのバレーボールをプレー。卒業後、ダイキヒメッツに入り、ビーチバレーに転向。楠原千秋とペアを組み国内外を転戦。ビーチバレーの国内大会「BVJC」(ビーチバレージャパンサーキット)で数多くの優勝、準優勝を経験。2001年アジアサーキット2001フィリピン・マニラ大会、同タイ・トラン大会で優勝を飾り、クィーン・オブ・ザ・ビーチ2001のチャンピオンにも輝いた。2002年にはワールドツアー4位となり、アジア大会銅メダル獲得。 2004年アテネ五輪に出場した。

2006年引退。筑波大学大学院に通う傍ら日本ビーチ文化振興協会常任理事も務める。

2013年より愛媛県立学校の保健体育科教諭。

球歴

  • 所属チーム履歴
(バレーボール)松山市立雄新中学校聖カタリナ女子高等学校筑波大学
(ビーチバレー)ダイキヒメッツ(1997-2005年)
  • 全日本代表としての主な国際大会出場歴

主な戦歴

ビーチバレー

1998年
  • バンコクアジア大会 3位
2001年
  • グランドスラム オーストリア大会 4位
2002年
  • 釜山アジア大会 3位
2004年
  • ワールドツアー ギリシャ大会 5位
  • アテネ五輪出場 17位

関連項目

リンク


徳野 涼子(とくの りょうこ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/10 17:47 UTC 版)

ビーチスターズ」の記事における「徳野 涼子(とくの りょうこ)」の解説

かつてアテネオリンピックビーチバレー日本代表選手として出場した才媛イルカたちと偶然出逢ったことからコーチ務める。なお、モデルは徳野涼子本人

※この「徳野 涼子(とくの りょうこ)」の解説は、「ビーチスターズ」の解説の一部です。
「徳野 涼子(とくの りょうこ)」を含む「ビーチスターズ」の記事については、「ビーチスターズ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「徳野 涼子」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「徳野 涼子」の関連用語

徳野 涼子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



徳野 涼子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの徳野涼子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのビーチスターズ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS