御成婚記念埼玉會館として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 04:10 UTC 版)
「埼玉会館」の記事における「御成婚記念埼玉會館として」の解説
埼玉会館は、昭和天皇(当時は皇太子)の成婚を記念して建設が決まった。埼玉女子師範学校を別所に移転させ、その敷地に建設することが決まっていた。1923年に計画が始動するも、関東大震災によって延期された。その後渋沢栄一を中心とした寄付金の協力もあり、岡田信一郎の設計で1925年には着工することができ、1926年(大正15年)11月6日に完成した。当時国内において公共集会施設の建設は稀で、東日本では日本青年館に次いで2例目であった(日比谷公会堂よりも早かった)。また、関東大震災を受けて耐震耐火も考慮された設計となっていた。師範学校の旧校舎(鳳翔閣)は北に移築された(その後埼玉県立浦和図書館となる)。太平洋戦争後は一時進駐軍に接収され、埼玉軍政部が置かれた。
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