彷徨五年の後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 08:44 UTC 版)
聖武が渇望していた大仏造立は、天平17年(745年)8月から平城京の東にあった金光明寺(後の東大寺)で再開され、天平勝宝4年(752年)4月9日に完成した大仏の開眼供養会が執り行われた。廃都となった恭仁宮の大極殿は天平18年(746年)9月に山背国分寺に施入されて、その跡地が現在山城国分寺金堂跡として保存されている。甲賀寺は大仏造立が放棄された後も整備が続けられ、近江国の国分寺となった。難波宮はその後も副都としても残り、天平17年8月には聖武の行幸があって約1か月滞在した。
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