大谷光演
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大谷 光演(おおたに こうえん、1875年(明治8年)2月27日 - 1943年(昭和18年)2月6日)は、明治から大正時代にかけての浄土真宗の僧、俳人、画家。法名は「彰如」(しょうにょ)。俳号は「句仏」。別号に愚峰。東本願寺第二十三代法主[1]。真宗大谷派管長。伯爵。妻は、三条実美の三女・章子。長男は大谷光暢。
- ^ 正式には「本願寺」。一般には通称である「東本願寺」と呼称するので、「東本願寺第二十三代法主」と表記。
- ^ 『代表的人物及事業』時事通信社、1913年、「大谷光演師」の項
- ^ a b 東本願寺句仏上人 多難の法灯を継ぐ『新聞集成明治編年史. 第十三卷』林泉社 1936-1940
- ^ 『破産法研究』第9巻、有斐閣、1936、p353
- ^ 『大日本現代史: 下巻』博文館、1909、p1944
- ^ 東本願寺・大谷家系図でみる近現代史
- ^ 近角常観の郷土における宗教活動とネットワーク(下)三宅正隆、立命館国際研究 31-3,February 2019
- ^ 『官報』第8710号「叙任及辞令」1912年7月2日。
- ^ 工藤美代子 『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と天皇』 中公文庫 ISBN 978-4122051782、107p。姻戚関係、と書かれているが、具体的にどのような関係であったかが記されていない。近衛の長男文隆が、西本願寺派宗主大谷光照の妹正子と結婚したこととの混同かとも思われるが、その件は同書138pに記されている。
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