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広瀬寿助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/06 16:59 UTC 版)

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広瀬 寿助(ひろせ じゅすけ、1875年明治8年)6月10日[1] – 没年不詳)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将満洲電信電話株式会社総裁。

経歴

広島県出身。陸軍士官学校を卒業。1900年(明治33年)に陸軍少尉に任官し、1929年(昭和4年)に陸軍中将に昇進した[2]。その間、陸軍大学校を卒業し、参謀本部部員、陸軍兵器廠附、陸軍歩兵学校附、歩兵第1旅団長、参謀本部第三部長、陸軍運輸部長などを歴任した[2]1931年昭和6年)、第10師団長となり、満州事変に出動した[2]1934年(昭和9年)、予備役に編入[2]

1937年(昭和12年)より満洲電信電話株式会社総裁を務めた[2]。戦後、公職追放となった[3]

栄典

位階
勲章

脚注

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  1. ^ 日本陸軍将官辞典 p.621 2001.
  2. ^ a b c d e 人事興信録 1939.
  3. ^ 公職追放の該当事項は「満洲電信電話総裁」。(総理庁官房監査課編 『公職追放に関する覚書該当者名簿』 日比谷政経会、1949年、121頁。NDLJP:1276156 
  4. ^ 『官報』第3672号「叙任及辞令」1924年11月18日。
  5. ^ 『官報』第869号「叙任及辞令」1929年11月20日。
  6. ^ 『官報』第1433号「叙任及辞令」1931年10月7日。
  7. ^ 『官報』第1905号「叙任及辞令」1933年5月11日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 下巻』人事興信所、1939年。
  • 総理庁官房監査課『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。



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