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平田泰章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 19:05 UTC 版)

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ひらた やすあき
平田 泰章
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生誕 ????????
日本大阪府
出身校 京都大学経済学部卒業
職業 経営者
団体 神戸製鋼所(神鋼)。神鋼環境ソリューション
肩書き 代表取締役副社長。代表取締役社長

平田 泰章(ひらた やすあき)は日本実業家神戸製鋼所(神鋼)元副社長。担当部長として神鋼ラグビー部を率いて、ラグビー日本一7連覇を達成した[1][2]

来歴・人物

大阪府生まれ。大阪府立清水谷高等学校卒業。京都大学経済学部卒業、1962年昭和37年)神戸製鋼所に入社[3]1986年神戸製鋼ヨーロッパ社長に就任。1991年平成3年)神戸製鋼所の取締役、1996年常務(機械エンジニアリング事業本部都市環境本部長)、1998年専務取締役(都市環境事業部長)[4]を経て、2001年(平成13年)6月、副社長(都市環境・エンジニアリングカンパニー執行社長)に就任した[5]

環境事業の再編を先駆け

2002年(平成14年)神鋼グループのエンジニアリング関連の「神鋼パンテツク」社の代表取締役社長に就任。グラスライニング機器生産で世界トップ技術の同社を、神鋼の都市・環境事業部門と統合。翌2003年10月に誕生させた「神鋼環境ソリューション」社でも初代の社長の就任[6]。業界に先駆けた環境事業の再編戦略の一環として、ごみ処理水処理プラント装置の製造・販売に加え、特に外国向けの海水淡水化土壌浄化事業も推進。その売上目標を「5年後に連結売上高1000億円、経常利益80億円」と大きく掲げた。

この目標を「神鋼の事情による統合」と批評した業界だったが、その2年後、鉄鋼や重工、造船など大手14社が全て環境事業の再編に乗り出した[7]

神鋼ラグビー部7連覇の生みの親

平田は神戸製鋼所ラグビー部の担当部長だった1988年(昭和63年)シーズン、ラグビー部の主将平尾誠二、副将大八木淳史・藤崎泰士らを盛り立て、創部60年目の記念の年に、悲願の日本一を達成した。

初の全国制覇を果たす前の神鋼ラグビー部は、新日本製鉄釜石ラグビー部より長い歴史を持つ名門クラブながら、「関西の中堅チームという立場に甘んじる時代が長く続い」ていた。加えて、1985年プラザ合意による円高不況の影響を神鋼が受けていた頃で、ラグビー部の初優勝が社員の心に明るい光をもたらし、「ラグビー部が神鋼の共通文化となり、業種・職種などの違いを通り越した存在になっていった」と、平田は述べている[8]

脚注

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