平松時言
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平松時言(ひらまつ ときより、文政6年(1823年)8月13日 - 明治16年(1883年))は、江戸時代後期から明治時代にかけての公卿。
安政5年(1858年)、日米修好通商条約締結に反対し、廷臣八十八卿列参事件に参加した。
官歴
- 天保3年(1832年):安芸権守
- 天保4年(1833年):従五位上
- 天保8年(1837年):正五位下
- 天保11年(1840年):従四位下
- 弘化元年(1844年):従四位上
- 嘉永元年(1848年):正四位下
- 嘉永2年(1849年):少納言
- 嘉永3年(1850年):侍従
- 嘉永5年(1852年):従三位
- 安政4年(1857年):正三位
系譜
出典
- 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年。
- 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。
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