平忠常と房総平氏の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 13:56 UTC 版)
平忠常は下総国相馬郡を拠点とし、上総・下総・常陸の広範囲に領土を有し、上総介、武蔵押領使に任官した。これが房総平氏の発生である。一説に拠ると、下総国千葉郡にて千葉四郎と称したとも言われている。忠常は1028年に長元の乱を引き起こして源頼信に追討されたが、子の常将、常近は許され、房総平氏は滅ぶことなく存続する事を許された。尚、この事件を機に房総平氏の清和源氏への追従が始まったと見るべきである。常将は千葉介を名乗ったとされ、その息子の常長・常兼親子の代に前九年の役・後三年の役に従事して功を立て、一族は大きく発展する事になるのである。
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