平山氏
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一ノ谷の戦いで熊谷直実と先陣争いをしたことで知られる、西党きっての有名人平山季重を出した一族。京王線の平山城址公園駅から近いところにある宗印寺(日野市平山)には季重の墓や木造が伝えられている。平山氏は筑前国原田荘の地頭となり、季重の孫である重実が筑前平山氏の祖となっている。
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平山氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 14:47 UTC 版)
中世のこの地域は平山氏が治めていたとされる。平山氏は武蔵七党とされているが、平氏出自とする説もある。平山左衛門尉季重は1180年(治承4年)源頼朝の源家再興の挙兵に直ちに応じ金砂城を攻略の後、源義経に従い木曾義仲軍と宇治川で合戦、一の谷、屋島、壇ノ浦の各合戦において活躍する。1189年(文治5年)の奥州合戦では嫡子平山小太郎重村とともに従軍して戦功を立てる。これらの戦功により九州の原田荘の地頭に任ぜられ、1207年(承元元年)には草花村の大行寺を祈祷所として保護した。
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