平城盛次
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生誕 | 1869年3月14日![]() |
死没 | 不明 |
所属組織 | ![]() |
軍歴 | 1891年 - 1917年 |
最終階級 | ![]() |
平城 盛次(ひらき もりつぐ、1869年3月14日(明治2年2月2日)[1] - 没年不明[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[3]。
経歴・人物
旧島原藩の士族平城盛之の弟として長崎県に生まれる[1]。1891年(明治24年)陸軍士官学校第2期卒業[2][3]。
1906年(明治39年)7月に騎兵第5連隊長、1910年(明治43年)12月に騎兵第15連隊長、1912年(大正元年)12月に陸軍騎兵大佐・騎兵第1連隊長を経て、1917年(大正6年)8月に陸軍少将に進級と同時に待命、同年12月に予備役に編入した[2][3][4]。
この間、日清戦争には騎兵中尉として、日露戦争には同少佐として出征し、その功により勲四等功四級に叙せられた[1]。
栄典
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]
脚注
参考文献
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 人事興信所編『人事興信録』第4版、人事興信所、1915年。
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