常泉寺 (名古屋市)とは? わかりやすく解説

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常泉寺 (名古屋市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/25 07:40 UTC 版)

常泉寺

本堂
所在地 愛知県名古屋市中村区中村町字木下屋敷47
位置 北緯35度10分27.98秒 東経136度51分21.89秒 / 北緯35.1744389度 東経136.8560806度 / 35.1744389; 136.8560806座標: 北緯35度10分27.98秒 東経136度51分21.89秒 / 北緯35.1744389度 東経136.8560806度 / 35.1744389; 136.8560806
山号 太閤山
宗派 日蓮宗
本尊 大曼荼羅
創建年 慶長11年(1606年
開山 圓住院日誦上人
開基 加藤清正
正式名 太閤山 常泉寺
別称 太閤さん
公式サイト 日蓮宗 太閤山 常泉寺
法人番号 8180005000061
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常泉寺(じょうせんじ)は、愛知県名古屋市中村区にある日蓮宗寺院山号は太閤山。本尊は大曼荼羅。豊臣秀吉の生誕地と伝えられている[1]。旧本山は、萱津妙勝寺。

歴史

当地は豊臣秀吉の生誕地の一つとして永らく伝わる。秀吉の死後の慶長11年(1606年)に加藤清正が圓住院日誦上人を開山に招き、豊国大明神廟堂として創建した。寺名は秀吉の誕生当時、近郷に類のない清水の溢れる井戸(現在の豊太閤産湯の井戸)があったことから定められたという。

御神体である豊臣秀吉の束帯唐冠像(長さ二尺余り)は木食興山上人の彫刻である。当初は大坂城に置かれていたものだが、清正が豊臣秀頼に願い出て譲り受け、当地に奉ったものである。

名古屋城の築城を手伝わされていた加藤清正は、名古屋城の完成後、慶長16年(1611年)に本陣としていた仮屋を日誦上人に喜捨し、仏殿に改築し妙行殿とした。

元和元年(1615年)夏、廟堂から出火し、ほとんどの建物が焼失する。

その後、日探上人が焼け跡に草堂を建てて常泉寺とし、焼け残った妙行殿は妙行寺に改めて弟子の日璋に授けた。

境内には、豊太閤産湯の井戸や秀吉が天文16年(1547年)に自ら植えたというなどがあり[1]、寺宝として秀吉の肖像画や上記の秀吉木像の他、秀吉所持と伝えられる采配・茶釜・硯などが所蔵されている。

境内

  • 本堂
  • 庫裏
  • 豊太閤産湯の井戸 - 昭和40年代に枯れてしまったが、元号平成に替わったのを機に掘りなおして復活させた。
  • 豊臣秀吉
  • 秀吉御手植えの柊
  • 山門

所在地

  • 愛知県名古屋市中村区中村町字木下屋敷47

脚注

  1. ^ a b 福本英司 (2016年10月30日). “深手の「秀吉」守れ 手植えヒイラギ立ち枯れ危機 中村区・常泉寺”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 朝刊 35 

関連項目

  • 中村公園 - 隣接する公園にも秀吉の生誕地と伝わる場所がある。
  • 豊国神社 - また別に豊臣秀吉の生誕地であるとされている場所に建てられている。
  • 妙行寺 - 加藤清正の生誕地とされる。当寺の南に隣接している。

関連資料

  • 日蓮宗寺院大鑑編集委員会『宗祖第七百遠忌記念出版 日蓮宗寺院大鑑』大本山池上本門寺1981年

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