師・加藤美樹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 10:23 UTC 版)
「白峯」での西行など、『雨月物語』を書く秋成の思想の背景に、国学者賀茂真淵からの影響が見られる。それまでも独学で契沖のことを学んでいた秋成は、やはり『雨月物語』執筆の前後に国学者加藤美樹(姓は藤原、河津、名は宇万伎とも)に入門している。美樹は真淵の高弟であった。それまでも知的な「浮浪子」(なまけ者などの意味の上方語)であった秋成だが、美樹からの手ほどきからは、思想的深化、古典学の体系だった智識の整理、という重大な影響を受けた。影響は『雨月物語』にも反映されたと考えてよいだろう。 『雨月物語』の文体からもこのことは察せられる。庭鐘の作品は和漢混淆文でできているといってもよいが、漢文調の強いものであった。一方、『雨月物語』を見ると、上手く原典の白話小説の調子を翻訳し、漢文調と和文調の織り交ざった独自な文体となっている。師・美樹の学問がこの文体の礎となったことは、うなづける話である。
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