崔昌燮とは? わかりやすく解説

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崔昌燮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/23 16:08 UTC 版)

崔 昌燮(チェ・チャンソプ、朝鮮語: 최창섭1898年[1]または1899年4月29日[2] - 1979年11月30日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国ジャーナリスト政治家制憲・第3・4代韓国国会議員[3]

経歴

慶尚南道陜川郡出身。釜山商業(高等)学校、日本大学社会学科卒。東亜日報朝鮮日報記者を8年間務めた後、治安維持会慶尚南道総本部治安部長、独促国民会陜川郡支部宣伝部長、自由党陜川郡党委員長・中央委員、第3代国会大邱毎日新聞テロ事件真相調査委員会委員長を務めた[1][3][2]

しかし、第4代国会議員のとき、隣の陜川郡甲選挙区選出の同じ自由党の兪鳳淳朝鮮語版議員がKNA拉北事件当時に拉北されて、その後また韓国に帰還したスパイだと誣告したため、2年の有期刑を言い渡されて投獄された。その後は国会での釈放決議により釈放されたが、自由党党務会により同党から除名された[4][2]

エピソード

国会議員在職時代、自由党のために野次を飛ばすことで有名。また、1955年9月14日の大邱毎日新聞テロ事件が発生した後、同年10月7日の国会本会議に事件の調査報告書が提出されたとき、崔は「愛国心に燃えテロを起こした青年たちに勲章でもつけてあげたい」、つまり白色テロはテロではないという旨で発言し物議を醸した[5][2]

脚注

  1. ^ a b 손희두(부산교육대학, 정치학), “최창섭 (崔昌燮)” (朝鮮語), 韓国民族文化大百科事典 (韓国学中央研究院), https://encykorea.aks.ac.kr/Article/E0057682 2025年4月23日閲覧。 
  2. ^ a b c d 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年4月23日閲覧。
  3. ^ a b 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年4月22日閲覧。
  4. ^ 崔昌燮議員除名(최창섭의원제명)”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1959年12月7日). 2025年4月23日閲覧。
  5. ^ 황희진 (2015年9月13日). “60년 전 그날, 매일신문 '백주의 테러' 사건의 재구성” (朝鮮語). 매일신문. 2025年4月22日閲覧。



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