岡崎帰城後の徳川家康を支える
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「本多広孝」の記事における「岡崎帰城後の徳川家康を支える」の解説
永禄3年(1560年)5月の今川義元の戦死後、松平元康(家康)が岡崎に帰城すると、広孝は領国回復の戦いに忠節を尽くした。とりわけ、永禄4年(1561年)の東条吉良氏との戦い、いわゆる藤波畷の戦いには劣勢となり多くの死傷者を出した松平勢を支えて奮戦、吉良義昭の家老であった富永忠元を討ち取り形勢を逆転、吉良氏を降伏に追い込み一躍勇名を馳せた。家康はその功を讃え、富永伴五郎の所領の室(むろ、西尾市室町)を広孝に与えた。 永禄6年(1563年)の三河一向一揆の争乱では広孝は嫡子・康重を忠節の証として家康に差し出し、自らは土居の城館を拠点に土呂・針崎の一向宗に抗戦、またこの時再び敵対した吉良義昭の東条城を攻めた。
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