岐阜市立島小学校とは? わかりやすく解説

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岐阜市立島小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/31 10:13 UTC 版)

岐阜市立島小学校
北緯35度25分45.73秒 東経136度44分5.5秒 / 北緯35.4293694度 東経136.734861度 / 35.4293694; 136.734861座標: 北緯35度25分45.73秒 東経136度44分5.5秒 / 北緯35.4293694度 東経136.734861度 / 35.4293694; 136.734861
過去の名称 島尋常小学校
島尋常高等小学校
島国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 岐阜市
併合学校 東島尋常小学校
近島尋常小学校
西島尋常小学校
旦島尋常小学校
萱場尋常小学校
早田尋常小学校[注釈 1]
設立年月日 1897年
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
学校コード B121220100101
所在地 502-0911
岐阜県岐阜市北島7-6-12
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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岐阜市立島小学校(ぎふしりつ しましょうがっこう)は、岐阜県岐阜市北島にある公立小学校

概要

学校の東門にはシンボルとして、大銀杏(おおいちょう)・小銀杏(こいちょう)の木が立っている。大銀杏は2020年現在で140年以上存在しており、4階建ての本校舎の高さにまで延びている。[1]

沿革

統合前
  • 1873年(明治6年)4月 - 東島村に集成学校、近島村に含秀学校、早田村に正修学校が開校する。
  • 1875年(明治8年) - 含秀学校が集成学校に統合される。
  • 1877年(明治10年) -
    • 集成学校から菅生村が離脱し、八宝学校が開校する。
    • 萱場村に集成学校萱場分教場、旦ノ島村に集成学校旦島分教場を設置する。
  • 1879年(明治12年) - 萱場分教場と旦島分教場が統合・独立し、静倹学校となる。
  • 1880年(明治13年) - 集成学校が島潟学校に改称する。
  • 1881年(明治14年) - 島潟学校から若木村[注釈 2]が離脱し、若木学校が発足。
  • 1887年(明治20年) -
    • 膏雨学校[注釈 3]が早田尋常小学校に改称する。
    • 八宝学校が西島尋常小学校に改称する。
  • 1891年(明治24年) - 静倹学校が旦島尋常小学校に改称する。
  • 1893年(明治26年) - 旦島尋常小学校から萱場尋常小学校が分立する。
  • 1895年(明治28年) - 島潟学校が東島尋常小学校、若木学校が近島尋常小学校に改称する。
  • 1897年(明治30年) -
統合後
  • 1900年(明治33年) - 島尋常高等小学校に改称する。
  • 1901年(明治34年) - 現在地に統合校舎が完成。分教室(東島・近島・西島・旦島・萱場・早田)を廃止。早田に早田分教場を設置。
  • 1934年(昭和9年)12月5日 - 島村が岐阜市に編入される。
  • 1941年(昭和16年) - 島国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年) - 岐阜市立島小学校に改称。早田分教場を早田分校に改称。
  • 1956年(昭和31年) - 早田分校が岐阜市立早田小学校として独立する。
  • 1965年(昭和40年) - 校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。以後、1966年、1967年、1969年に新築・増築が行われる。
  • 1971年(昭和46年) - 岐阜市立城西小学校が分立する。
  • 2023年 (令和5年) - 新たに児童放課後クラブ設立のため遊具エリアを解体し、そこから新たな校舎を建てた。

行事

  • 入学式(4月)
  • 野外学習・修学旅行(5-6月) - 5年生は岐阜市少年自然の家、6年生は奈良京都
  • 運動会(9月)
  • 芸術鑑賞会(11月)
  • 6年生中学校半日入学(2月)
  • 卒業生を送る会
  • 卒業証書授与式(3月)

校区

  • 池ノ上町1~4丁目、江口、島栄町2・3丁目、島新町1丁目、白菊町2丁目(6~14番、24~82番)・3丁目(1~13番、26~29番)・4丁目(5~9番、39~42番)・5丁目(1~5番)・6丁目(19番)、菅生、旦島(国道157号線以南の区域)、西中島、東島、江口1・2丁目、北島1~9丁目、近島1~5丁目、菅生1~8丁目、西島町、旦島1~6丁目、西中島1~7丁目、島田1・2丁目、東島1~5丁目、島新町、一日市場北町(1番、2番2~18号、3番3~23号、4番、5番、6番4~20号、7番、8番、9番7~8号、12番を除く)[2]

進学先中学校

周辺施設

交通アクセス

モレラ忠節線、大野忠節線、西郷線「島小学校前」より徒歩約5分

参考文献

  • 島郷土史(1978年発行)
  • 岐阜市史 史料編 現代Ⅱ 第2巻(岐阜市 2019年)P.71

脚注

出典

  1. ^ ようこそ島小学校ホームページへ”. 岐阜市立島小学校. 2020年10月7日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ 岐阜市立小・中学校及び高等学校通学区域に関する規則”. 岐阜市教育委員会. 2020年10月7日閲覧。

注釈

  1. ^ 後に岐阜市立早田小学校として分離開校している。
  2. ^ 1875年に近島村と池ノ上村が合併し発足した村。1882年に近島村と池ノ上村に分立。
  3. ^ 正修学校が改称した学校(改称時期不明)。

関連項目

外部リンク




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