山鹿城 (肥後国)とは? わかりやすく解説

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山鹿城 (肥後国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 05:38 UTC 版)

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山鹿城
熊本県
別名 湯町城、湯浦古城、上市城
清滝城、山鹿古城
城郭構造 平山城
築城主 菊池氏(山鹿氏)
築城年 不明
主な城主 菊池氏(山鹿氏)
廃城年 天正15年(1587年
遺構 土塁
位置 北緯33度0分44.01秒 東経130度41分22.15秒 / 北緯33.0122250度 東経130.6894861度 / 33.0122250; 130.6894861
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山鹿城(やまがじょう)は、熊本県山鹿市肥後国山鹿郡)にあった中世日本の城(丘城)。

立地・構造

山鹿市山鹿字温泉の低丘陵に位置し、跡地には清滝神社や光専寺[1]圓頓寺などがある[2]。東側には南北方向に堀切が設けられ、南の急崖の外側には大規模な空堀土塁があった。西側と北側は崖となっている。大正時代鹿本鉄道の引込線を敷設した際に東南の土塁を崩している。また、山鹿氏の居館は現在の光専寺境内にあったという。

歴史

菊池氏の庶流にあたる山鹿氏が代々の居城とした。築城時期は不明だが正平6年(1351年)に懐良親王と敵対していた記録があり、南北朝時代には北朝に属していた。天正12年(1584年)に島津氏に降伏したが、進駐の際に小ぜり合いが生じている。肥後国人一揆で城主の山鹿重安が城村城に篭城した天正15年(1587年)、またはその翌年に廃城となった。

参考文献

脚注

  1. ^ 公報やまが No.105” (PDF). 山鹿市 (2009年8月31日). 2012年9月14日閲覧。
  2. ^ 圓頓寺の歴史”. 日蓮宗 常明山 圓頓寺. 2012年9月14日閲覧。

関連項目




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