山野辺義風とは? わかりやすく解説

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山野辺義風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/19 05:04 UTC 版)

 
山野辺 義風
山野辺義風(自性寺大雅堂蔵)
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦2年3月16日1752年4月29日[1]
死没 寛政3年2月12日1791年3月16日
官位 従五位下、伊豆守、土佐
主君 徳川治保
常陸水戸藩家老
氏族 奥平氏山野辺氏
父母 父:奥平昌敦、母:牧野貞通の娘
養父:山野辺義胤
兄弟 奥平昌鹿池田喜生義風
養子:義質
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山野辺 義風(やまのべ よしかぜ)は、江戸時代中期の水戸藩家老

生涯

宝暦2年(1752年)、豊前中津藩奥平昌敦の三男として生まれる。安永6年(1777年)、山野辺義胤の養子となり、同年養父の死去に伴い、家督を相続、1万石の家老となった。従五位下に叙され、伊豆守と称した。のち土佐守。

天明元年(1781年)、光格天皇の即位にあたり京に使した。また同年、将軍徳川家治および世子家斉御目見した。

主君徳川治保の次女・雅姫との婚約も整い、将来が期待されていたが、寛政3年(1791年)、40歳で死去した。嗣子なく没したため、治保の甥の友三郎(山野辺義質)が迎えられて家督を継いだ。

脚注

  1. ^ 鈴木彰『日立の歴史と伝説』日立史談会、1941年、p.69。

参考文献

  • 鈴木彰『幕末の日立―助川海防城の全貌』常陸書房、1974年。



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