山那神社_(扶桑町山那)とは? わかりやすく解説

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山那神社 (扶桑町山那)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/01 14:23 UTC 版)

山那神社

拝殿
所在地 愛知県丹羽郡扶桑町大字山那字屋敷地609
位置 北緯35度22分22.42秒 東経136度54分43.11秒 / 北緯35.3728944度 東経136.9119750度 / 35.3728944; 136.9119750
主祭神 素盞嗚命 菅原道真
社格 村社
創建 不明
本殿の様式 流造
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山那神社(やなじんじゃ)は、愛知県丹羽郡扶桑町山那にある神社

歴史

創建時期は不明。

延喜式内社山那神社、本国帳の従三位山那天神とあるのがこの社であると伝えられる。1872年明治5年)に近代社格制度における村社に列格する。1897年(明治30年)天神社を山那神社と改称、1907年(明治40年)供進指定を受ける。1911年(明治44年)11月13日、字大持に鎮座の青木社を合祀した。

当社は江戸時代には木曽川の中州に鎮座していたが、1601年慶長6年)の大洪水で民家、社寺、田畑ともに流失したため、神社を堤南の末社神明社地内に移した。また洪水の際に本社の神像が葉栗郡光明寺村(現・一宮市光明寺)まで流され、これを拾得した同村民が天台宗光明寺の境内に祭った。山那の村民はしばしば返還を求めたが、戻ったのは1869年(明治2年)2月8日であったという。このことにちなんで「光明寺流れ」の伝説が生まれた。

祭神

青木社跡

山那の龍泉寺の西に須佐之男命を祭った青木社があった。神仏混淆の折、龍泉寺と青木社は一体であったと思われるが、1820年文政3年)に寺を離れて、明治維新の際に青木社として復旧したと伝えられる。1911年(明治44年)11月13日、山那神社に合祀された。現在跡地は山名保育園となり、園地の一角に石標が建てられている。付近には青木、青木前などの地名が残っている。

天神社跡

旧社地付近には大鳥居口、御幸道、馬草山、天神山、天神前などの地名があって、天神社が祭られていた頃の地名と推測される。

所在地

交通機関

関連項目

参考文献




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