山田卯三男とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 山田卯三男の意味・解説 

山田卯三男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 14:31 UTC 版)

山田 卯三男
生誕 1879年9月13日
日本 愛媛県
死没 (1966-07-11) 1966年7月11日(86歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1902年 - 1934年
最終階級 陸軍中将
テンプレートを表示

山田 卯三男(やまだ うみお、1879年明治12年)9月13日[1] - 1966年昭和41年)7月11日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。

経歴

1879年(明治12年)に愛媛県で生まれた[1]陸軍士官学校第13期卒業[1]1924年(大正13年)12月4日陸軍砲兵大佐に進級し[2]12月15日陸軍野戦砲兵学校高射砲練習隊長に就任し[2]1927年(昭和2年)1月に陸軍野戦砲兵学校教導連隊長に転じた[2]

1930年(昭和5年)8月1日に陸軍少将進級と同時に対馬要塞司令官に着任[1][3]1932年(昭和7年)8月に野戦重砲兵第1旅団長に転じ[4]1933年(昭和8年)8月に陸軍技術本部第3部長に就任した[1]1934年(昭和9年)8月1日に陸軍中将に進級して待命[1][2]8月30日予備役に編入された[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 福川 2001, 762頁.
  2. ^ a b c d 外山 1981, 178頁.
  3. ^ 『官報』第1078号「叙任及辞令」1930年8月2日。
  4. ^ 外山 1981, 179頁.
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」193頁。

参考文献

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  山田卯三男のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「山田卯三男」の関連用語

山田卯三男のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



山田卯三男のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの山田卯三男 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS