山浦と向野の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/14 07:48 UTC 版)
「地蔵峠 (杵築市)」の記事における「山浦と向野の関係」の解説
地蔵峠が盛んに通行された頃は、山浦と向野は交流が盛んであった。向野は宇佐平野の端に位置し、山香郷と呼ばれた現在の杵築市山香町域において、向野は宇佐文化の影響が顕著であった。山浦は中山香や上、立石などとも交流が盛んであったものの、特に向野や現在の宇佐市安心院町域の集落との交流が盛んであったために、宇佐文化の影響がやはり見られる。 生活様式の変化などによって小地域ごとの文化習俗の特徴が薄れつつある現代(2000年代)においても、盆行事の様式の違いにより、その差がはっきりとわかる。すなわち、山浦と向野は踊りが似通っているのに対して、向野と立石とではまったく異なる。これは、古来、立石峠を利用しての向野・立石間の交流よりも、地蔵峠を利用しての向野・山浦間の交流のほうがずっと盛んであったことを如実に示している。
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