山形十二張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 05:46 UTC 版)
6、4、2の提燈の上部に行燈(万燈と呼ぶ)を付ける。江戸時代中期に主流であった造り物は次第に山形十二張の提燈に変化し、当初、一本物の真柱であったものが、明治42年に電線が張り巡らされたことで1段目と2段目の間で折り曲げるようになった。電線が張り巡らされたことで造り物への復古があったようである。堤原の神功皇后はこの時のものである。 造り物については焼け残った町が2ヶ町、戦前の再生が2ヶ町、戦後の新造が2ヶ町の計6ヶ町である。 山形十二張については丸提燈が2ヶ町、高張提燈が35ヶ町である。また15ヶ町が薄張を使用する。真柱に面皮柱を使用する町が23ヶ町ある。 平成24年に宮北が薄張12張を新調したため薄張使用町内は16ヶ町となった。
※この「山形十二張」の解説は、「祭車」の解説の一部です。
「山形十二張」を含む「祭車」の記事については、「祭車」の概要を参照ください。
- 山形十二張のページへのリンク