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山口昇 (軍事評論家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/18 09:23 UTC 版)

山口昇
2011年撮影
人物情報
全名 山口昇
生誕 1951年
出身校 防衛大学校
陸上自衛隊幹部学校指揮幕僚課程修了)
タフツ大学フレッチャー・スクール(修士)
学問
研究機関 陸上自衛隊研究本部
防衛研究所
防衛大学校
国際大学
主な受賞歴 瑞宝中綬章
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山口 昇(やまぐち のぼる、1951年〈昭和26年〉 - )は、日本陸上自衛官研究者軍事評論家。最終階級は陸将国際大学国際関係学研究科教授。タフツ大学フレッチャー・スクール修士。元ハーバード大学ジョン・M・オーリン戦略研究所国家安全保障客員フェロー三重県出身。

経歴

自衛官時代

1974年、防衛大学校卒業。第18期。同期に火箱芳文杉本正彦など。

同年、陸上自衛隊航空科部隊配属。1983年、陸上自衛隊幹部学校指揮幕僚課程修了。1988年フレッチャー・スクール修了、同修士号取得。1991年、ハーバード大学ジョン・M・オーリン戦略研究所客員研究員。

外務省北米局日米安全保障条約課出向、統合幕僚会議事務局軍備管理・軍縮班長、第11師団司令部第3部長(作戦担当)、陸上幕僚監部防衛調整官を経て、1999年から2001年まで外務省在アメリカ合衆国日本国大使館首席防衛駐在官(外務事務官・在米国日本大使館参事官(国防・陸軍担当))。

2001年から陸上自衛隊航空学校副校長、2002年から陸上自衛隊研究本部総合研究部長、2005年から防衛研究所副所長を務めたのち、2006年から第4代陸上自衛隊研究本部長として勤務し、2008年12月退官。

研究者として

2009年から防衛大学校教授[1]。在職時より、米政府・軍の高官らと緊密なネットワークを構築。また、研究本部の創設・運営にも尽力。自らも「軍人スカラー(軍人学者、warrior scholar)」などと自称し、現職時代から多くの雑誌やカンファレンス等に寄稿し、制服組を代表する論客である。

防衛大学校教授、同校防衛学教育学群安全保障・危機管理教育センター長として日米同盟軍事史の教育を行う一方、論壇でも活動している。

2011年3月14日に発生した東日本大震災に際し、9月まで危機管理・復興問題担当の内閣官房参与を務めた。東京財団上席研究員も歴任[2]

2015年10月 - 現在[3] 国際大学国際関係学研究科教授[4]

2017年7月、外務省「核軍縮の実質的な進展のための賢人会議」委員に就任[5]

2022年、瑞宝中綬章受章[6]

著作

監修

  • ルパート・スミス『軍事力の効用――新時代「戦争論」』(佐藤友紀訳、原書房、2014年)
  • チャック・ウィルズ『図解 世界の武器の歴史 石斧から自動火器まで』(堀口容子訳、グラフィック社、2015年)

脚注

出典

  • 防衛年鑑(2008)
  • 防衛省将官人事(2005年~2008年)





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