山口城破却確認
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 23:14 UTC 版)
同日、幕府の巡見使、石川光晃、戸川安愛が山口城破却の状況を確認した。山口は城ではなく館であり、破却の仕方も屋根瓦十数枚を落としただけであったが、巡見使はこれを問題なしとして了承した。 12月20日、防長回天史によると、7人の処刑を知らない喜多岡は、岩国の吉川の元を訪れ正義派の助命嘆願を行った。西郷も駆けつけてきて吉川に正義派の助命嘆願と、軍事衝突を起こさないように萩藩政府を説得するよう求めた。 吉川は二人の言葉を入れて正義派の助命を約束したが、会議の途中、萩より急使が来て既に7人が処刑された事を告げた。西郷らは愕然とした風体であったと吉川は書き残している。喜多岡は、長谷川に諸隊の鎮撫について相談した事を話し、7人の処置は長谷川の発案に違いないと言った。西郷は武力衝突の生じないよう調整してきたことがすべて無駄になったといい、長谷川を巡見使にした総督府の失敗であると言った。
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