居住地の放棄まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 22:57 UTC 版)
サーサーン朝のシャープール1世(在位:241-272)はオスロエネ(英語版)、アディアベネ、Beth Nuhadra、Beth Garmaを占領し略奪した後、257年にアッシュル市でも同じことを行い、これらの地をサーサーン朝に組み込んだ。 シャープール1世による破壊の後もアッシュルには人が住んでいた。イスラーム期にはまだ居住の継続が確認されており、12世紀から13世紀にかけてザンギー朝、イルハン朝がこの地を支配した。しかし、もはや往時の重要性を回復することはなく、14世紀頃定住地としては放棄された。遺跡はその後も時折ベドウィンたちがテントを張り、また1970年代頃まで、その一部が墓地として利用されていた。
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