押小路家 (中原氏)とは? わかりやすく解説

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押小路家 (中原氏)

(局務家 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/09 12:08 UTC 版)

中原氏嫡流押小路家(おしこうじけ/おしのこうじけ)は、大外記、特に外記(事務官・書記官)の首座である局務を世襲した地下家室町時代、15世紀後半の師富の代から押小路家を名乗った。江戸期家禄76。本来の家学明経道で、初期には広澄流清原氏嫡流と共に明経博士・局務を世襲するも、清原氏の昇格に伴い、博士家としての地位を喪失。代わりに、江戸期は単独で局務を世襲したことから、押小路家そのものが局務(きょくむ)と呼ばれるようになった。造酒正大炊頭掃部頭穀倉院別当も多く兼任。このため、地下家ながら公卿に列すことも不可能ではなく、小槻氏嫡流官務壬生家と共に、地下官人の棟梁(じげかんにんのとうりょう)と称された。ここに中原氏庶流出納平田家も加えて「三催」(さんもよおし)とも呼ぶ。また、師武養女の甫子孝明天皇の御乳人(乳母)・大御乳人命婦次席)を務めた。明治維新後、華族に列し男爵に叙された。一族の多くが職務記録や日記を残し、師成はそれらを内閣文庫等に寄贈したため、歴史研究上の貢献は極めて大きい。


注釈

  1. ^ a b 初めて中原氏に改姓した氏祖の有象を初代とする時の数え方。『国史大辞典』「中原氏」(吉岡真之担当)は、「外記一族」という点を重視し、系図類で初めて外記に務めたと伝承されている有象の父の十市春宗を初代とし、押小路家初代の師豊を中原氏第18代と数えている[2]。しかし、『外記補任』には春宗が外記に務めたという記録がない(有象にはある)ことから、歴史的には春宗を外記一族初代とするのは否定される[4]
  2. ^ a b 血筋上は左大史壬生知音の次男壬生正路の娘[10]

出典

  1. ^ 太田, p. 946.
  2. ^ a b c d e f 吉岡 1997.
  3. ^ 阿部武彦「氏長者」『国史大辞典』吉川弘文館、1997年。 
  4. ^ 井上 2005, p. 329.
  5. ^ a b c d e f 武部 1997.
  6. ^ a b c d e f g 武田 1997.
  7. ^ 鈴木 1997.
  8. ^ a b 橋本 1997.
  9. ^ 三上 & 正宗 1937, pp. 63–66.
  10. ^ a b c 武部 1997b.
  11. ^ 人事興信録データベース第8版 [昭和3(1928)年7月](名古屋大学大学院法学研究科):「齋藤福之助 (男性)」, 「齋藤善八 (男性)」, 「押小路昌信 (男性)」
  12. ^ a b c d e 田沼 1997.
  13. ^ 武田 1997b.


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