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小野祐之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/09 02:37 UTC 版)

小野祐之

小野 祐之(おの すけゆき、1895年明治28年)6月5日[1] - 1944年昭和19年)7月18日[2])は、日本の実業家政治家衆議院議員。旧姓・小沢[3]。長男は元塩尻市長の小野光洪[4]

経歴

長野県上伊那郡小野村(現辰野町小野)で、小沢五郎三郎の三男として生まれ、東筑摩郡筑摩地村(現塩尻市北小野)の小野郡吾の養子となる[3][5]。旧制長野県立松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を経て、1920年早稲田大学専門部政治経済科を卒業[2][5]陸軍に志願して入隊し2年後に歩兵少尉で除隊し、1928年予備役歩兵中尉に昇進[5]。帝国在郷軍人会本会審議員、同第十四師管連合支部審議員、同東筑摩郡連合分会長、同東筑摩郡将校分団長、同長野支部参事など、在郷軍人会の役職を務めた[6]。在郷軍人会の支援を受けて、1939年長野県会議員に当選し政党の解消に尽力[5]1940年大政翼賛会長野県支部初代常務委員に就任[5]

実業界では、信陽アルミナ工業所を創設し、信州石灰工業組合理事長、日本石灰工業組合理事を務めた[2][5]

1942年4月、第21回衆議院議員総選挙翼賛政治体制協議会の推薦を受け長野県第四区から出馬して当選し翼賛政治会に参加[2][5]。この間、翼賛政治会政調内務委員、同陸軍兼務委員を務めた[5]。臨時召集を受け1944年4月1日に議員を退職した[7]太平洋戦争に出征し、同年7月、サイパン島で戦死した[2][5]

脚注

  1. ^ 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、18頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』113頁。
  3. ^ a b 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、オ40頁。
  4. ^ 『東筑摩郡松本市・塩尻市誌 別篇 人名』1982年
  5. ^ a b c d e f g h i 『長野県歴史人物大事典』167-168頁。
  6. ^ 『翼賛議員銘鑑』72頁。
  7. ^ 『官報』第5169号、昭和19年4月10日。

参考文献

  • 小野進也『タッポーチョの稜線に散る : サイパン戦記』東洋出版、1991年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 赤羽篤外編『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
  • 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、1943年。



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