小磯馨子とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 小磯馨子の意味・解説 

小磯馨子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/13 10:03 UTC 版)

こいそ かおるこ

小磯 馨子
生誕 1888年2月
日本 新潟県
死没 1950年5月24日(62歳没)
日本 東京都世田谷区
死因 敗血症
出身校 新潟高等女学校
配偶者 小磯國昭(夫)
子供 小磯昭一(長男)
小磯次昭(次男)
小磯三昭(三男)
小磯靖之(四男)
小磯省吾(五男)
小磯雪子(長女)
小磯旅子(次女)
牧口義方(父)
親戚 牧口義矩(兄)
テンプレートを表示

小磯 馨子(こいそ かおるこ、1888年明治21年)2月[1] - 1950年昭和25年)5月24日[2])は、日本の第41代内閣総理大臣である小磯國昭の妻(内閣総理大臣夫人)。新潟県出身。

経歴

1887年明治20年)、越後国柏崎の豪商である牧口義方の五女として生まれる[1]。その後、新潟高等女学校(現在の新潟県立新潟中央高等学校)を卒業し[1]1907年(明治40年)に後に内閣総理大臣となる小磯國昭と結婚、5男2女を儲けた。

1950年昭和25年)4月には既に重病の床にあり、同月25日に極東国際軍事裁判A級戦犯として終身禁錮刑に処された夫の國昭が見舞いのため12時間の仮出所を許されて最後の対面をし[3]、この1か月後の同年5月24日に敗血症のため東京都世田谷区北沢の自宅で死去した[2]。國昭も半年後の11月3日に後を追うようにして死去している。

脚注

  1. ^ a b c 『大衆人事録 昭和3年版』(帝国秘密探偵社、1927年)コ1頁
  2. ^ a b 朝日新聞 1950年5月25日、3面
  3. ^ 『出版年鑑 1951年版』(出版ニュース社、1951年)p.69
先代
東條かつ子
内閣総理大臣夫人
1944年7月22日 - 1945年4月7日
次代
鈴木たか



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  小磯馨子のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小磯馨子」の関連用語

小磯馨子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小磯馨子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小磯馨子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS