小泉村_(静岡県)とは? わかりやすく解説

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小泉村 (静岡県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/20 07:07 UTC 版)

こいずみむら
小泉村
廃止日 1952年4月1日
廃止理由 新設合併
小泉村泉村裾野町
現在の自治体 裾野市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 静岡県
駿東郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 3.95 km2.
総人口 4,716
国勢調査1950年
隣接自治体 富岡村、泉村、長泉村三島市
小泉村役場
所在地 静岡県駿東郡小泉村
座標 北緯35度10分26秒 東経138度54分24秒 / 北緯35.17389度 東経138.90672度 / 35.17389; 138.90672 (小泉村)座標: 北緯35度10分26秒 東経138度54分24秒 / 北緯35.17389度 東経138.90672度 / 35.17389; 138.90672 (小泉村)

駿東地域の町村制施行時の町村。13が小泉村。(のちに東部が泉村として分立)
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小泉村(こいずみむら)は、静岡県東部、駿東郡にあったである。廃止直前の村域は、現在の裾野市南部、西地区の大半(大畑・桃園以外の区域)に相当する。1952年泉村合併して、裾野町になった。

地理

発足当時の村域は、西は黄瀬川左岸から、東は箱根山までを含んでいた。

泉村分立後は御殿場線がおおよその東の境界となった。

歴史

  • 1571年元亀2年)- 甲相同盟により武田氏駿河側)と北条氏伊豆側)の境界が定められた際に黄瀬川以東の一部が北条方に残ったため、その一帯が「伊豆」と称されるようになった[1]
  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、佐野村・水窪村・伊豆島田村・二ッ屋新田・石脇村・富沢村・茶畑村・平松新田・麦塚村・公文名村・久根村・稲荷村が合併して、小泉村成立。
  • 1891年(明治24年)10月10日 - 東部の6大字(茶畑・平松・麦塚・久根・公文名・稲荷)が泉村として分立。
  • 1952年昭和27年)4月1日 - 泉村と合併し、裾野町の一部となる。

交通

  • 御殿場線裾野駅 - 1915年大正4年)までの名称は佐野駅であったが、所在地は平松だったため、泉村成立以降は村内に駅がない状態だった。

脚注

  1. ^ 黒田基樹「今川家滅亡」『徳川家康と今川氏真』朝日新聞出版〈朝日選書〉、2023年。ISBN 9784022631244 

関連項目




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