小林冨司夫とは? わかりやすく解説

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小林冨司夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/12 04:50 UTC 版)

小林 冨司夫(こばやし ふじお、1917年大正6年)[1] - 1996年平成8年)3月23日)は、日本詩人山梨県西八代郡久那土村(現・身延町)出身[2]

詩誌『四季』への投稿を開始したのは昭和10年代に東京に出てからであった[1]。その後中国に渡り、青島市で新聞記者(青島新報)として勤務したが、現地で兵役に就き、中国戦線で従軍した[1]

太平洋戦争後に帰郷して、山梨日日新聞に入り、11年間文化部長を務める[1][2]御坂峠にある太宰治の『富嶽百景』を筆頭とした文学碑(中里介山中村星湖前田晁飯田蛇笏ら)の建立を手がけた[1][2]山梨県立美術館山梨県立文学館といった文化施設の建設にも関与している[1]肺気腫に罹患して1971年頃に退社した[2]

山梨県出身の俳人飯田蛇笏および子息の飯田龍太と親交を持ち、新聞社退社後の1979年に蛇笏の評伝『蛇笏百景』を上梓した[1][2]。同じく新聞社退社後に、中国の文人である八大山人の伝記も手がけ、こちらは1982年に刊行されている[1][2]

詩人としては、『日本未来派』の同人であった[1]

著書

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 冬の常設展 期間限定公開 詩人 ・ 小林冨司夫 生誕100年 2017年12月5日(火)~2018年3月11日(日)”. 山梨県立文学館. 2017年12月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 会員の横顔 小林冨司夫 - 『山人会報』31号、公益財団法人山人会、1973年
  3. ^ 小林 富司夫 - WebCat plus

関連文献

  • 小林聰一郎「父・小林冨司夫のこと」山梨県立文学館(編)『山梨の文学』No.21、2005年、pp.38 - 46(国会図書館サーチ



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