小左衛門の死後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 08:41 UTC 版)
小左衛門の屋敷跡には、万四郎夷社(稲荷社ともいう)が祀られた。近代に入り、万四郎神社と称し、小左衛門とともに処刑された2人の子・小四郎と万之助を祀る神社となった。伊藤小左衛門の墓は、博多区御供所町(ごくしょまち)の妙楽寺にある。 事件から50年後の享保期に、近松門左衛門は伊藤小左衛門をモデルにして作った浄瑠璃の戯曲『博多小女郎浪枕』を発表した。ほかにも、「小左衛門の馴染みの丸山遊女の定家が、悲しみのあまり、岩瀬洞の岬から身を投げた」「港内の小島裸島で一族が処刑された」などの伝説も残っている。 伊藤家の故郷である木屋瀬の長徳寺には、小左衛門吉直夫妻の墓と伝わる五輪塔が並んで建っている。
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