対アフガニスタン政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 14:36 UTC 版)
「ベーナズィール・ブットー」の記事における「対アフガニスタン政策」の解説
ターリバーンがアフガニスタンで勢力を伸長したのはブットー政権時代で、彼女の肩入れによるものであった。ベーナズィールとターリバーンはこの事実が社会問題化すると、相手に対する非難を応酬した。ターリバーンの政治信条によれば、女性であるベーナズィールには政権を握る権利はないからである。しかし、ベーナズィールはターリバーンがアフガニスタンに安定をもたらし、中央アジアとの貿易路を開くことになると考えていたのである。そのためブットー政権はターリバーンに軍事的かつ財政的援助を与え、ごく少数ではあるがパキスタン国軍をアフガニスタンに派遣することすらした。結局、ターリバーンは1996年9月カーブルに入城を果たした。
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