富川磨崖仏とは? わかりやすく解説

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富川磨崖仏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/03 15:00 UTC 版)

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富川磨崖仏(とみかわまがいぶつ)は、滋賀県大津市にある鎌倉時代作の磨崖仏である。1965年(昭和40年)5月に大津市指定文化財に指定。

概要

富川磨崖仏
阿弥陀三尊の左下に不動明王の線刻があるが摩滅が激しい

正式には阿弥陀三尊不動明王磨崖仏といい、高さ40mの花崗岩からなる岩壁に阿弥陀三尊不動明王が彫られている。磨崖仏右の岩肌に応安2年(1369年)の銘文があるが、造られたのは鎌倉中期の時代と言うのが定説。もとは岩屋山明王寺跡と伝えられる。狛坂磨崖仏と並び近江を代表する磨崖石仏であり、近畿では笠置寺虚空蔵磨崖仏(像高約9m)や大野寺磨崖仏(像高約11.5m)に次ぐ規模である。本尊である中央の阿弥陀如来像は、耳辺りから鉱水が湧き流れ出て淡紅色となっており、このことから俗に「耳だれ不動」と呼ばれている。そのため、耳の病気に効験があるとして親しまれており、耳病の人の信仰を集め、参詣者も多い。

「阿弥陀三尊像」

像高3.64m。像の周囲を彫り窪めて、板彫風に線や面を薄肉彫りした陽刻である。そのため、口や目などの表現が不自然になっている。蓮華座の上に座させ、その下には格座間を配している。
主尊の方を向き踏割蓮華座の上に立つ。宝冠には水瓶が付き、中尊側の手を与願印とする。
主尊の方を見るように斜めを向く。宝冠に化仏をあらわす。中尊側の片手を与願印とし、もう一方の手に蓮華の茎を持つ。勢至と共に薄肉彫り。

「不動明王立像」

本尊に向かって左側にあり、線刻の絵画的な表現で刻まれているが風化による損耗が激しい。阿弥陀三尊像と同じく鎌倉時代作とされる。

アクセス

外部リンク・参照

座標: 北緯34度54分27.1秒 東経135度56分11.1秒 / 北緯34.907528度 東経135.936417度 / 34.907528; 135.936417




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