富久力松とは? わかりやすく解説

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富久力松

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/15 23:33 UTC 版)

富久 力松(とみひさ りきまつ、1898年3月23日 - 1988年12月28日)は、日本経営者工学博士東洋ゴム工業社長、会長を務めた[1]岡山県出身[1]

経歴

岡山県生まれ。第六高等学校 (旧制)を経て[2]1923年京都帝国大学工学部工業化学科を卒業し[3]、同大学で助手を務めた[1]。師は喜多源逸。在学中に喜多とともにベークライトの製法特許を取得している[4]1929年学位論文「ヴィスコースの研究」により京都帝国大学より工学博士号を取得[5]。昭和レーヨン、東洋紡での勤務を経て、1945年8月に東洋ゴム工業社長に就任[1][6]1965年5月に会長に就任し、1971年5月に取締役相談役、1975年5月に相談役を経て、1978年6月には名誉顧問に就任[1]。設立時より長きにわたり経営を担い同社の発展に尽力した[7]。社外においては日本ゴム工業会、大阪ロータリークラブの会長職。大阪工業会発明協会の副会長職などを務めた。文才にも恵まれ『蝸牛随想』全10集(東洋ゴム工業ほか、1954-85年)が刊行されている。1960年5月に藍綬褒章を受章、1968年4月に勲三等旭日中綬章1975年11月に勲二等瑞宝章を受章[1]

1988年12月28日心不全のために死去[8]。90歳没。

脚注

  1. ^ a b c d e f 人事興信所 1985, と79頁.
  2. ^ 富久力松『蝸牛随想』第5集、東洋ゴム工業、1966年、p.11
  3. ^ 『京都帝国大学一覧 自大正12年至大正13年』京都帝国大学、1924年、p.544、工業化学科/大正12年(1923年)3月卒業
  4. ^ 富久力松『蝸牛随想』第5集、東洋ゴム工業、1966年、p.16
  5. ^ NII論文ID:NAID 500000487396
  6. ^ 同社社史編纂室『東洋ゴム工業50年史』東洋ゴム工業株式会社、1996年、p.19、75
  7. ^ 『日本の創業者:近現代起業家人名事典』日外アソシエーツ、2010年、p.273、東洋ゴム工業
  8. ^ 『日本経済新聞』1988年 12月30日、朝刊、p.27

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第33版 下』人事興信所、1985年。 



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