家族と兄のバン即位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/06 09:44 UTC 版)
「スティエパン・ヴク・コトロマニッチ」の記事における「家族と兄のバン即位」の解説
ヴクはヴラディスラヴ・コトロマニッチとイェレナ・シュビッチの末子である。父方の叔父はバンのスティエパン2世コトロマニッチで、彼が1353年に死去するとヴクの兄スティエパン・トヴルトコ1世が後を継いだ。この時、父ヴラディスラヴが摂政を務め、彼が1354年に死去すると今度は母イェレナが摂政となった。この年にイェレナと共にハンガリー王ラヨシュ1世のもとを訪れスティエパン・トヴルトコ1世のバン位継承の承認を求めているが、ヴクはこれに同行している。そして1357年に成人したスティエパン・トヴルトコ1世が親政を始めた。1357年7月、スティエパン・トヴルトコ1世とヴクは、ラヨシュ1世によってボスニアとウソラの共同君主として承認されたが、その際2つの条件が課せられた。一つは兄弟のどちらかがラヨシュ1世の宮廷に滞在すること、もう一つは兄弟が「異端」ボスニア教会を弾圧するよう努めるということであった。
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