宮崎駿児とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 宮崎駿児の意味・解説 

宮崎駿児

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/07 17:37 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

宮崎 駿児(みやざき しゅんじ、1851年嘉永3年) - 没年不明)は、幕末幕臣大陸浪人

経歴

父は静岡藩出身の旗本寄合の医師・宮崎立元。

三田同朋町に生まれ、弘前藩士・対馬嘉三郎が証人となり、明治4年(1871年)7月3日に慶應義塾に入学。卒業後、大蔵省嘱託等を経て文部省で教科書の翻訳活動に当たる。1880年(明治13年)に発足した「興亜会」に佐藤暢と共に幹事として就任。広報誌『興亜公報』の編集人となる。

続いて外務省に移り、廈門領事館書紀見習に就任。1886年(明治19年)には明善中学の教師となり、権藤成卿を伴い支那へ渡る。支那保全論を主張し、東亜同文会の発足にも参加した他、翻訳者として張滋昉などとの共著や著書も多い。

著書

参考文献

  • 丸山信編『人物書誌大系 30 福沢諭吉門下』日外アソシエーツ、1995年3月、ISBN 4816912843



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宮崎駿児」の関連用語

宮崎駿児のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宮崎駿児のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの宮崎駿児 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS