宮古島記事仕次
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/28 05:01 UTC 版)
18世紀に書かれた『宮古島記事仕次』には、与那覇勢頭豊見親に関して以下の伝説が記されている。 真佐久の伯父は佐多大人(さーたーうぷんど)という。佐多大人は3千の兵を擁して兵力で宮古島を制覇しようとしたが、平良の根間・外間に居を構える目黒盛豊見親に敗北し、逃げ落ちた先の下地字与那覇で死んだとされる。 息子がなかった佐多大人の後継者に選ばれた真佐久は、一族の再興と、平和に島を治める方法を得るため、宮古島の東岸にある白川浜から旅立ち、中山国に至った。
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