宮下久夫とは? わかりやすく解説

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宮下久夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/13 14:15 UTC 版)

宮下 久夫(みやした ひさお、1927年昭和2年) - 1997年平成9年)1月)は日本教育者国語教師)。太郎次郎社のロングセラー『漢字がたのしくなる本』シリーズの共著者の一人として知られる。群馬県生まれ。

経歴

利根郡沼田町(現在の沼田市)坊新田に生まれる。旧制沼田中学校を卒業後、東京第三師範学校(現在の東京学芸大学)を卒業。1949年(昭和24年)より群馬県内で小学校教諭としての道を歩み始める。のち、子どもの間違いからヒントを得た文部省指導要領にはない独自の「漢字教科書」を使った授業が、次第に注目を集めるようになる。

宮下は子どもたちの「修学旅行のときの生き生きとした顔が、教室ではどうして死んでしまうのだろう。普通の教師なら旅行は楽しいからと片付けるかもしれないが、(そうではなく)人間はだれでも知識を持ちたいという欲求があり、この欲求を満足させられるのなら、授業も楽しいはずだ。なのに授業で子供の顔が死んでしまうのは、それは教師に問題があるからではないか」と悩み続けた[1]という。

そうした中、1979年(昭和54年)に『お母さんの漢字教室』を出版。これがきっかけとなり、白川静に師事するようになる。同時に全国の漢字研究家との交わりも深まり、教員生活と並行して作家篠崎五六太郎次郎社の社長浅川満、国語研究者の伊東信夫の4人で毎月1回、ひと月間の課題を持ち寄っての1泊2日の研究会を10年以上にわたって続け、『漢字がたのしくなる本』シリーズとして20を超える作品を出版[2]2018年現在でも版を重ねるロングセラーとなっている。

1987年(昭和62年)、小学校教諭を定年退職。

1997年(平成9年)1月、死去。満69歳没。

死去から3年後の2000年(平成12年)、『分ければ見つかる知ってる漢字』と題する遺稿集が出版された。

著書

単著

  • 『お母さんの漢字教室』刊々堂出版社、1979年
  • 『漢字の組み立てを教える―小学3年までの500字で (ひと文庫) 』太郎次郎社、1989年。 ISBN 978-4811806006
  • 『分ければ見つかる知ってる漢字―白川静先生に学んで漢字の学習システムをつくる 宮下久夫遺稿集』太郎次郎社エディタス、2000年。 ISBN 978-4811806594

共著

  • 篠崎五六、伊東信夫、浅川満)『漢字がたのしくなる本』シリーズ/太郎次郎社、1989年初版

脚注

  1. ^ 高山正(2018)、188-189頁
  2. ^ 高山正(2018)、189頁

参考文献




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