宦官・鄭和
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 14:35 UTC 版)
馬三保が生まれた年には、既に漢地は洪武帝の建てた明のほぼ支配下にあり、元は梁王国の拠る雲南など数か所で勢力を保つのみとなっていた。天元3年(1381年)、馬三保が10歳の時に明は雲南攻略の軍を起こし、翌天元4年(1382年)に梁王国は滅亡。父を殺された馬三保は捕らえられて去勢され、洪武16年(1383年)頃に燕王朱棣(後の永楽帝)に12歳で宦官として献上された。 洪武帝の没後に起きた靖難の変において馬三保は功績を挙げ、建文帝から帝位を奪取した朱棣(永楽帝)より宦官の最高職である太監(中国語版)に任じられた。さらに永楽2年(1404年)には鄭姓を下賜され、以後は鄭和と名乗るようになった。
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