宝慶寺とは? わかりやすく解説

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ほうきょうじ 【宝慶寺】

中国陝西省西安城内安伝坊にある寺。俗に塔寺。隋の仁寿年間(六〇一~〇四)創建。隋の文帝や唐の中宗が行幸し、文宗五色塔を建てた石刻仏像は、もと城東光宅坊の光宅七宝花台則天武后創立にあった。②福井県大野市笠松にある曹洞宗の寺。福山一二六一弘長一)年沙弥真空開基寂円開山寂円一二〇七~九九)は中国宋の人で、道元中国同門であり、道元慕って来日、その法流寂円派という。

宝慶寺

読み方:ホウキョウジ(houkyouji)

宗派 曹洞宗

所在 福井県大野市

本尊 釈迦如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

宝慶寺

読み方:ホウキョウジ(houkyouji)

所在 福井県大野市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

宝慶寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/23 01:22 UTC 版)

宝慶寺
所在地 福井県大野市宝慶寺1-2
位置 北緯35度55分03.9秒 東経136度27分52.3秒 / 北緯35.917750度 東経136.464528度 / 35.917750; 136.464528座標: 北緯35度55分03.9秒 東経136度27分52.3秒 / 北緯35.917750度 東経136.464528度 / 35.917750; 136.464528
山号 久遠山
宗派 曹洞宗
創建年 弘長元年(1261年
開山 寂円
法人番号 2210005005707
宝慶寺
宝慶寺 (福井県)
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宝慶寺(ほうきょうじ)は、福井県大野市にある曹洞宗の寺院。弘長元年(1261年)、道元を慕って宗より来日した寂円禅師(じゃくえんぜんし)によって、道元の寂滅後に開山された。曹洞宗における第二道場。永平寺奥の院、とも言われる。寺宝の道元禅師(曹洞宗の開祖)肖像画は県指定文化財。

歴史

大野市街から西南に約10キロメートル、清滝川の上流に位置する、うっそうと茂る杉木立に囲まれた[1]曹洞宗の古刹。中国宋時代の高僧、寂円が永平寺の開祖道元禅師を慕い来日、弘安元年(1278年)に開いた大本山永平寺に次ぐ曹洞宗第二道場とされる。道元禅師図像など多数の県指定文化財を保有。座禅体験もできる。田中眞海(しんかい)老師が住職をつとめていた。

脚注

参考文献

  • 「宝慶記」道元の入宋求法ノート 大東名著選 池田 魯参 1994/01
  • 街道をゆく」18 越前の諸道 司馬 遼太郎 朝日新聞社 2005/03 

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