官庁・機関
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 06:56 UTC 版)
1933年1月にナチ党が権力を掌握すると、ナチの映画政策は、特に2つの官庁、帝国国民啓蒙宣伝省映画部と帝国映画院(ドイツ語版)が取り仕切ることになった。帝国文化院とナチ党全国宣伝指導部(ドイツ語版)映画局もまた影響力を持っていたが、ゲッベルスはあらゆる官庁の上位に君臨していたため、ナチズムの指導者原理に則り、本来の所管官庁の声に一切耳を傾けることなく、映画や映画政策の事案を意のままに決定することができた。さらには多くの作品の配役にまで影響力を及ぼした。また映画検閲(ドイツ語版)と映画評価(ドイツ語版)に、最終決定を下したのもゲッベルスであった。なお、ゲッベルスが膨大な業務の中でこういった特権を実際にどこまで行使したのかについては、現在も議論が続いている。 他の省庁が所管していた唯一の領域は教育映画であり、教育映画に関してはベルンハルト・ルスト文部大臣と、彼が設立したReichsstelle für den Unterrichtsfilm(仮訳「全国教育映画局」)が決定を下していた。
※この「官庁・機関」の解説は、「ナチスの映画政策」の解説の一部です。
「官庁・機関」を含む「ナチスの映画政策」の記事については、「ナチスの映画政策」の概要を参照ください。
- 官庁・機関のページへのリンク