安国寺 (加東市)とは? わかりやすく解説

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安国寺 (加東市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/02 06:18 UTC 版)

安国寺
山門
所在地 兵庫県加東市新定851[1]
位置 北緯34度53分13.8秒 東経135度2分44.1秒 / 北緯34.887167度 東経135.045583度 / 34.887167; 135.045583座標: 北緯34度53分13.8秒 東経135度2分44.1秒 / 北緯34.887167度 東経135.045583度 / 34.887167; 135.045583
山号 東渓山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 十一面観世音菩薩
創建年 暦応2年(1339年
開山 固山一鞏
開基 足利尊氏
別称 播磨安国寺
文化財 宝篋印塔(市指定有形文化財
法人番号 2140005016711
安国寺
安国寺 (兵庫県)
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安国寺(あんこくじ)は、兵庫県加東市にある臨済宗妙心寺派寺院山号は東渓山。本尊十一面観世音菩薩

歴史

義教の首塚とされる塔

足利尊氏後醍醐天皇をはじめとする南朝の戦没者の菩提を弔うために日本全国68か所に建てた安国寺のひとつ。

嘉吉の乱播磨守護赤松満祐に暗殺された室町幕府第6代将軍足利義教のものだとされる宝篋印塔の首塚がある[1]

嘉吉元年(1441年)6月24日に嘉吉の乱を起こして足利義教を暗殺した赤松満祐は、義教の首を奉じて播磨国河合(現・小野市)の堀殿城に入った。その後、足利氏ゆかりの当寺まで大行列を作って首を運び、播磨国の禅僧を多数集めて盛大な法要を営んで葬ったと伝えられている。しかし、7月1日になって幕府の使者・季瓊真蘂が来て義教の首の返還を要求したため、満祐は首を返還している。

境内

  • 方丈
  • 庭園 - 枯山水庭園。
  • 庫裏
  • 鐘楼
  • 山門
  • 総門
  • 足利義教首塚(加東市指定有形文化財) - 宝篋印塔。足利義教のものだとされる首塚[1]

文化財

加東市指定有形文化財

  • 宝篋印塔 - 総高173センチ。凝灰岩製[2]

脚注

  1. ^ a b c 安国寺 足利義教公首塚”. 加東市観光協会. 2024年10月2日閲覧。
  2. ^ 市指定文化財 宝篋印塔(安国寺)”. 加東市HP. 加東市. 2024年10月2日閲覧。

関連項目

外部リンク




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