固山一鞏とは? わかりやすく解説

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固山一鞏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/19 01:08 UTC 版)

固山一鞏
弘安7年9月 - 延文5年/正平15年2月12日
1284年9月 - 1360年2月29日
無中[1]
生地 肥前佐賀郡[1]
宗旨 臨済宗
蔵山順空、無為昭元、南山士雲
弟子 鐘谷利聞、無塵至清、季宗初興、林叟、智門一祚、天佑一聞[2]
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固山一鞏(こざん いっきょう)は、鎌倉時代から南北朝時代臨済宗

経歴・人物

はじめ肥前高城寺の蔵山順空に師事する。博多にて元僧の西澗子曇より無中の号を受ける[1]京都で無為昭元、南山士雲らに学ぶ[1]。京都東福寺にうつった順空の法を嗣ぎ、東福寺、天竜寺の住持を歴任した[1]

脚注

  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『固山一鞏』 - コトバンク
  2. ^ 人名規範資料庫、2019年1月28日閲覧。



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