絹本著色無為昭元像とは? わかりやすく解説

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絹本著色無為昭元像

主名称: 絹本著色無為昭元像
指定番号 1922
枝番 00
指定年月日 1993.06.10(平成5.06.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書 自賛がある
員数 1幅
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  無為昭元(?-一三一一)は京都の人で、聖一国師弟子となり、蘭溪道隆無学祖元にも参禅したことが知られる博多承天寺、ついで京都三聖寺の住持つとめており、固山一鞏の『固山行状』には、正安二年(一三〇〇)、三聖寺の昭元の下に一七七人弟子がいたことがみえる。嘉元三年一三〇五)十二月には東福寺第七世となり、また円覚寺第九世をも歴住した応長元年一三一一二月相模宝満寺引退し同年五月十六日示寂して東福寺内の東光寺に塔された。のちに大智禅師号追贈されている。
 本図は、向かって斜め右を向いて右手黒色竹箆持ち左手を膝の上置いて法被をかけた曲〓坐す像である。上方向かって右から七行にわたって自賛書かれ、「無為」および判読不能の二顆の印章があるが、年紀はない。
 無為元の像としては、明兆とされる東福寺四十祖像(重要文化財 明治三四三・二七)のなかに反対向き半身像があるが、自賛像は本図のほかに知られず、また墨跡残っていない。本図鎌倉時代遡る自賛のある高僧頂相として貴重であり、また、穏健的確な相貌表現法被文様みられる緻密な筆致あわせて賞されよう。
 長興寺は、無為昭元の弟子一人で、東福四哲の一人数えられ太陽義冲(文和元年一三五二年没・七一歳)が建武二年(一三三五)に開いた寺院である。ただし、本図幕末まで前述東光寺伝来したのである



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