安倍晋太郎派
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1986年7月6日に行われた衆参同日選挙で自民党は圧勝。同年7月14日、福田は後継会長に安倍晋太郎を指名し、安倍は同日付で会長に就任。 派閥内の三塚博・加藤六月・塩川正十郎・森喜朗の4人の実力者は安倍派四天王と呼ばれ、経世会の“竹下派七奉行”と比較された。安倍は中曽根康弘の後継を目指すが、1987年10月20日の中曽根裁定により首相の座は竹下登が射止めた。竹下内閣では幹事長として主流派入りし、ポスト竹下の最右翼と見なされていたが、リクルート事件のダメージを受けたまま、1991年5月15日に病に倒れた。
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