安中氏の上州入り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 08:24 UTC 版)
先祖は不詳。桓武平氏の平維茂の末裔とする説があるが、史料上の根拠は無い。 史料上での安中氏の初見は、野田忠持副状の享徳4年(1455年)頃とされる5月13日付の史料である。野田忠持が岩松持国に出したもので、享徳の乱の最中、安中左衛門の知行地に味方の大井播磨守が着陣したことを伝えている。享徳の乱時には既に安中氏は碓氷郡に拠っていたとみられる。 安中氏は碓氷郡に古くから居た一族ではなく、越後国から碓氷郡の野尻・松井田へ移住してきたとされる。その後、野尻と呼ばれていた地は安中と改められている。 近世に成立した史料ではこの安中氏の移住を長享元年(1487年)とするが、野田忠持副状の記述と合わず、正確な年代は不詳である。越後のどこから碓氷郡へ土着したのかも不詳。近世の史料はともに越後国新発田から移住したと伝えるが、新発田に安中氏の痕跡が無く、新発田を故地とはし難い。 なお、安中一族の名が確かな史料上で出てくるのは、貫前神社所蔵兜前立裏銘にある永正四年安中宮内大輔顕繁の文で、永正4年(1507年)に安中顕繁がいたことが分かる。
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