安中氏の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 08:24 UTC 版)
天正10年(1582年)武田家が滅亡すると、安中久繁は織田家の重臣・滝川一益に仕え神流川の戦いに参陣した。その後、戦いに敗れた一益が伊勢に帰還すると、安中久繁は後北条氏に仕え、天正18年(1590年)小田原征伐にて後北条氏が敗れると、安中氏は所領を失い四散した。 一族らしき安中姓の武士が真田氏・井伊氏に仕えたという。また宗家の左近忠成(景繁)の弟・忠基は出羽に逃れたともいい(『安中市誌』)、忠基の嫡男三郎左衛門は安藤重長に仕え、次子五郎左衛門が秋元喬知に仕官したという(『安中記』)。
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