子息の名字変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 10:01 UTC 版)
子息は3人おり、嫡男である太夫家弘(児玉党本宗家4代目)は、その本拠地を北上して武蔵国の北部国境付近である児玉郡大寄郷若泉庄の栗崎村(現在の埼玉県本庄市栗崎の地)に土着し、庄氏を名乗り、館を構える(こうして児玉党の本拠地は栗崎館に移転し、「栗崎」は本宗家の領地となる)。家行は、次男である二郎家遠には「塩谷(金屋・飯倉・田端・児玉・八日市ほか)」の領地を与え、三男である三郎親家には「富田」の領地を与えた(それ以外の領地は全て嫡男である家弘に与えた)。児玉氏の分家である彼らに別々の領地を与えた事で、児玉郡内に塩谷氏と富田氏が生じる事となる。 結果的に、家行(児玉氏本宗家)の3人の子息がそれぞれ児玉郡の領地を分割領有した事で、庄氏、塩谷氏、富田氏が発生したのである(栗崎・富田は現在の本庄市、塩谷は現在の児玉町に位置する)。
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